息子のこと

こんにちは

メンタルコーチのなすまりです😊

 

今日は、亡くなった息子の事を

書きたいと思います。

私がガッツリ心にフタをしていた部分。

どこまで開かれたかなぁ😊

 

 

息子は

2001年に産まれました。

結婚してすぐに授かりました。

 

何の問題もなく、妊娠期間を過ごし

ました。

たまたま大阪の中でも何本かの指に入る

大きな子供病院が近かったので、

たまたま

そこで産みました。

 

出産も難産と言うわけでもなく

産まれた直後、私の出血が止まらなかった

ぐらいです。

心配そうに父が駆け付けてくれ

ましたね🥲

 

担当して下さった助産師さんが、

高校の同級生でびっくり🤣

しかも、友達の友達。と言う。

 

気まずっ🤭

 

 

産まれて3日目ぐらいだったと思います。

看護師さんに、

「赤ちゃんが泣いた時に顔色が悪いので

    専門の先生に診てもらいますね」

と。

ちょっと引きつった表情で言われました。

 

その時の私。

顔色が悪い 🟰 病気

とも繋がらないような無知な状態でした。

ただただ不安だけが押し寄せて来て、

主人に泣きながら電話しました。

「俺らの子に限って病気な訳がない!」

と言ってくれた主人の言葉を支えに

先生のお話まで待ちました。

 

顔色紫 🟰 チアノーゼ 🟰心臓疾患

と言うことで、循環器内科の先生から

お話を伺いました。

私達夫婦と同世代ぐらいの若い先生

でした。

 

何億人だったか何十億人だったか⋯

詳しくは忘れました😅

に、一人の重病ですと。

 

日本で?

交通事故で亡くなる子供の確率?

ぐらい?

みたいな例えをして下さった様な

気がします。

 

思い描いていた夢がガラガラと崩れた

瞬間でした。

私もまだ退院出来るタイミングでは

なかったので、4人部屋の中で

声を殺して泣いていました。

これからどうしたら良いんだろうと。

この子はいつまで生きれるんだろうと。

 

それから赤ちゃんは、循環器の病棟へ

移動したので、産科の病棟から通う

形になりました。

 

赤ちゃんの名前は

『じょうどう』。

『丈道』と書きます。

主人が、丈夫な道を歩むようにと

つけてくれました。

 

初めて、循環器の病棟に会いに行く時

付き添って下さった看護師さんが、

『素敵なお名前ですね。

   名前に助けてもらえたら良いですね。』

って言って下さいました。

 

『なすじょうどう』

一度聞いたら忘れない。

いっぱい助けてもらったと思います😊

 

今日はここまでの様です。

 

 

それでは~